第1に、漁港の波止での釣り遊びの日夜の自由に入場の禁止のことが一般化したこと、第2に、

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このブログのすべては、個人的なメモ帳、そのものです。〜不定期更新、毎月1日にチャレンジ中

雑感〜事に逢あえば心を生じ、事すぎればまた無心荘子

次のことは、最近、読み込んだものの中から、仏教の真実田上太秀、講談社現代新書、について、けっこう、沢山、そして、物凄く、興味を引いた箇所を、少し、抜粋し、編集し、引用しているものです。

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予備知識

釈迦はすべての道修行のなかで八正道がもっともすぐれた唯一の道だと断言している。

そしてこの八正道を歩めば苦しみなくし、さらに真理を正しく観察する眼が得られるので、努めて実践するようにと説いた。

もろもろの道のうちでは、八の部分よりなる正しい道、が最もすぐれている。

これこそ道である。

真理を見るはたらきを清めるためには、この他に道はない。

汝らはこの道を実践せよ。

汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。ブッダの真理のことば感興のことば中村元訳、岩波文庫

真理を体現した人はこの極端に近付かず、中道をさとった。

真理を体現した人がさとった中道は何か。

それは実に八正道である。転法輪経

人の道として歩むべき中道は八正道であると述べた。

偏りのない、つねに中正で適正な生き方や考え方は八正道で実現できると説いている。

くりかえすが、釈迦は臨終の説法でも八正道が実行されていないところには道の人はいないし、反対に八正道が認められるところには道の人がいると、最後の弟子スバッダに説いた。

そして

八正道を守れ。

そうすれば世間には真実の人が現れて、その人に続く真実の人が輩出するだろうと告げている。

では、八正道は何を説いているのだろうか。

八つの正しい道、すなわち、

正しい観察、

正しい念おもい、

正しいことば、

正しい行い、

正しい生活、

正しい努力、

正しい記憶、そして、

正しい注意、

を簡単に説明しよう。

正しい観察について。

生まれること、老いること、病むこと、そして死ぬこと、の四つの苦しみは避けられないことを観察し、さらにこの原因は何かをつきとめなければならない。

なぜ世間にはこのような苦しみがあるのか。

その原因は、世間のあらゆるものは衆縁和合しゅうえんわごう、種の要素が調和して一つのものを構成形成していることして生じては滅している道理を知らないことにあると知ること。

これが正しい観察である。

正しい念おもいについて。

怒りや妬みや恨みによる争いを避ける。

正しいことばについて。

嘘や両舌や悪口やおべんちゃらなどで起こる煩わずらいがないように、ことばを慎む。

正しい行いについて。

殺生しない、盗まない、不倫しないなど、日頃の行いを慎む。

正しい生活について。

怠けた生活、歓楽におぼれた生活、邪よこしまな生活を捨て、道理に適った生活をする。

正しい努力について。

悪心が起きないように、悪心が生じたら捨てるように、善心が起きるように、善心が生じたらさらに増長するように努力する。

正しい記憶について。

我が身と取り巻く外界の事象をよく観察して、正しい知識を得たら忘れないようにすること。

正しい注意について。

平静な心になるまで心を制御すること。

以上の八つの内容は、人びとの日常生活の倫理と言っても過言ではない。

あらゆる教育の場で説かれる人の道ではないか。

それなのにわが国の仏教界ではまったくと言えるほど蔑ないがしろにされている。

釈迦はこれをほかにしてブッダへの道はなく、苦しみをなくす道はないとまで述べたにもかかわらず、八正道を人の道として説く僧侶は現代仏教界にはあまりにも少ない。

仏教の真実田上太秀、講談社現代新書

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本題〜さとりを得るための方法

仏教の修行と言えば、わが国では宗派ごとに修行法が異なり、一体、どれが釈迦が教えた修行法なのか解らない。

密教の流れを汲む真言宗では秘法としての護摩ごまを焚き、印を結び、ひたすら瞑想に励む。

浄土宗の宗派では阿弥陀仏の本願にすがり、南無阿弥陀仏の六字の名号をひたすら唱える修行を説く。

天台宗禅宗はただ座禅の修行に没頭する。

日蓮宗はうちわ太鼓を叩き、南無妙法蓮華経の題目をひたすら唱える修行を説く。

いずれの宗派も釈迦の教えを汲み、ひたすらブッダを慕い、教えに従い、そして安らぎを得たいという信仰に基づく修行を教えている。

ただここに一つ欠けているのは、釈迦が四十五年間説きつづけていた八正道の修行がまったく見られないことである。

仏教の真実田上太秀、講談社現代新書

なあるほどね。

竹田青嗣西研ヘーゲル解読11

今号は、お休み、にさせていただきます。(;)

遠投浮き釣り一文字釣法2

今号は、お休み、にさせていただきます。(;)

それにしても、書きとめておきたいこと、それは、海の浮き釣りの、簡単なのに確実に釣れる、アマチュアのための釣法、の具現化のことに限ることではあるのだが、何よりも、まず、釣り場のことは、長らく、波止場のことを中心にしてきたものだが、それが、超都市の近郊では、おおむね、ダメで、ムリで、お話にならないことになったことを、ため息をつくしかないこと、あきらめるしかないこと、認めるしかないこと、そして、その原因は、第1に、漁港の波止での釣り遊びの日夜の自由に入場の禁止のことが一般化したこと、第2に、釣り公園が釣り荒れ果てて釣り遊びの魚種の制約のことが一般化したこと、従って、その対策は、たとえば、小磯混じりの砂浜などでの、遠投浮き釣りの一環としての、チョイ投げ浮き釣りによる五目釣り遊び、なんぞへの釣法の変更を通して、たとえば、釣れる魚種のことは、タイやスズキやヒラメやカレイやカサゴやカワハギやマゴチやタコやなどのお馴染みのものはさておいて、シロギスであれ、キュウセンであれ、アイナメであれ、ギンポであれ、バリゴであれ、各地での、隠れた、知る人ぞ知る、高級魚の、てんぷらや、お刺身や、干物や、なんぞの\xA1

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