地球温暖化

日経エコロジー2002年2月号に「環境問題の科学を斬る」という特集が出ている。

地球温暖化」「生物多様性」「森林保全」「環境ホルモン」「石油資源」の五つのテーマについて、世界規模の施策の根拠となるべき (出版時点の) 最新の集計データがどのようなものなのかを検証している。

僕なりに言えば、「それってそもそも定量的にどういうことだったのよ」という話だ。

地球温暖化について言えば、「2100年に地球の平均気温が5:8℃上昇し、海の水位が世界で平均1m近く上がる」という有名な予測は、IPCC (気候変動に関する政府間パネル) が発行した「IPCC第3次評価報告書」に記載されており、2001年に初めて登場したものだそうだ。

同報告書では、2100年までの間、世界の経済と社会がどのような発展を遂げるかについて35通りのシナリオを作り、それぞれの場合について、大気中のCO2濃度の予測値から気温の上昇量を推定している。

「2100年に地球の平均気温が5:8℃上昇」は35通りのうちの最も厳しいシナリオ(「A1FI」と命名されている) に基づく予測だ。そのシナリオは、過去100年間の世界の平均経済成長率3%が今後も100年間続き、その間に化石燃料への依存を続けるというものだ。

1人当たりの一次エネルギーの年間消費量を石油に換算すると、90年の全世界平均は約1.6t。これが シナリオ「A1FI」 では2100年に約7tに増える。ちなみに、2005年現在の日本が5t、アメリカが8t強なので、シナリオ「A1FI」 が描く2100年は、世界平均が2005年の日本を上回る世界だ。また、一人当たりGDPの世界平均は90年は4000ドル、シナリオ「A1FI」の2100年では約7万4000ドル。経済成長の予測としては殆ど想定しにくいレベルだそうだ。

いろいろな機会に「2100年に地球の平均気温が5:8℃上昇」ばかりがいわれるかもしれないが、これは避けられない温度上昇を言っているのではなく、最も大量のCO2を人為的に排出した場合の予測であることを理解しておく必要があると、記事は書いている。

CO2濃度の推移を正確に予想することは非常に難しいそうだ。

98年までの10年間の炭素循環でいうと、人為的活動で排出するものが年平均6.3GtC (ギガトン炭素)、海の (自然界の作用による) 放出量は90GtC, 陸の (自然界の作用による) 放出量は60GtC。ただし海と陸の吸収量の合計は放出量を上回り、収支は陸は0.7GtCの吸収、海は2.3GtCの吸収。つまり自然界の炭素循環の規模は人的排出量より一桁多い。

ただし自然界の放出量と吸収量の変動も大きく、これまでの観測データにおいては、年度によって収支が吸収から放出に転じることもある。記事には集計値の変動のグラフも載っている)

つまりCO2削減などの人為的な努力の結果は、自然的な変動だけでも簡単に帳消しになる。集計の技術的な不確かさの幅も、自然的な変動で吹き飛んでしまうと僕には思える。

地球温暖化の原因とメカニズムは何なのかという問いは今後も自明になる日はなく、常に再検証を繰り返す必要があると思う。

記事では、京都議定書の発効などの人為的努力には意義を見ている。将来気候変動の予測技術が成熟して「影響が特定できてから対策を初めても間に合わない」という見解を紹介している。これについては、僕もそう思う。

現実の物事は複雑な筈だと思う。集計というものは精度の点で不確かな筈でもある。つまり地球温暖化対策のような大規模な施策の展望と意志決定は、前提となる事実のデータ的揺らぎ/不確定度に連動して常にデリケートに流動するのが、むしろ健全な姿だと思っている。

世間一般にいわれる環境保護の考え方は単純化されすぎて、科学的な認識論から先験的なドグマへと変質していないか、と疑いを感じることが時々ある。僕は、そういう変質の匂いにはアレルギー反応が出る。

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