表現の裏側を見つめる

さっき、友人のフェイスブック投稿で、かわいい赤ちゃんがキャッキャ言ってる動画を見て

懐かしい

かわいい

こんな頃が一番だ!

ずって見ていたい

と感情が湧いてきた()

こんな頃、確かにあったけど、ずーっと見ていられる状況じゃないほど、現実は何かに追われて忙しかった時もある。

そこで初めてずーっと見ていたいと思える。

かわいい時期は一瞬で終わる儚さがまた味わい深い。

私はよくフェイスブックで子供達の無邪気な顔や仲良く寄り添っている写真を投稿する。

それが私にとって特別なショットだから。

その一瞬の背景には、イヤってほど喧嘩するきょうだい4人がいて、うるさくて、飽き飽きするほど罵倒し合ってる時もあるから。

フェイスブック見てる人に、いい家族だね!って言われるけど、確かにいい家族だけど、その分超えてきたものもたくさんある

だから、家族が笑顔なのが好き。

私は文章書くのが大好き。

上手に書けるとか関係なく、好きだから。

ブログ書いてると落ち着く。

だって面と向かった自己表現が大の苦手だから。いつも何を感じ、何を考えてるのかを人に伝えることってほとんどない。怖いから。

身近な親や主人にだって本音を言うには、勇気と準備がないとできない。

だから、ブログが好き。

こうやって、表現してることの裏側は、魂の叫びみたいなものが隠れてたりするよね。

人のことをみて、あの人すごいなーとか、いいなーとか表面的に感じ取るだけぢゃなく、その裏側に抱えてるものも一緒に感じ取ると、ちょっと人間て深くて面白いなって最近、思う。

私は特に、いいところしか人に見せたくない願望が強いから。余計に裏側が気になるらしい。

経験から湧き出た言葉には、なんだか重みがある。

もっと知りたくなる。

今まで、表面的に感じ取っていただけの、キレイな言葉やいい事言うみたいな名言とか大好きだったけど、

本当は、そこに秘めた背景の方がずっと美しかったりするんだよね