てんかん僕より重症だったあの人の笑顔

僕はてんかん持ちです。

発症して以来20年以上経った今も、てんかんと闘っています。

またその話か?とは思わないでいただけたら幸いです

でも実際、こんなことあったんですから。

僕は発症して以来、発作が増えるばかりで、身体硬直の発作も増えて、毎日のように、外に出れば車に轢かれそうになったり、地下鉄のホームから落ちそうになったこと数知れずでしたが

まさに生命の危険を強烈に感じながらの毎日でした。

仕事を辞めるわけにはいかない

一人暮らししてたわけですし、辞めたら収入もなくなりますからね

毎日、出勤退社の際に、外へ出て歩道や横断歩道を渡る、そして地下鉄やの駅のホームから乗降するのは必須事項でした。

避けることはできなかったんです

身体硬直の発作が出る時って、意識が無くなるわけではないので、

車が身体にぶつかる直前まで、その光景がはっきり見えるんです

駅のホームから落ちそうになる時も同様です

いっそのこと、意識が無くなって倒れてくれた方がどんなに楽なことだろう

本当は、こんなこと考えちゃいけないんですよ

でも、それほど辛い状態で生命の危機も抱えて過ごしていたので、ご容赦くださいね

そんな中で、東京小平の国立精神神経センターの精神科に転院し、病棟に入院した時のこと

周りの患者仲間は、日本中から集まってきてた僕よりはるかに重症の方ばかり

彼らの辛い経験談も聞き、そして初めて自分の目でてんかん発作を見たことで、

自分自身、辛い辛いと毎日溜息ばかりついてたのが、

自分なんて全然軽いよ。戻る職場もあるんだし、全然恵まれてるよ。みたいに考えられるようになりました。。

1時間に1人くらいの割合で、病棟で誰かが発作起こして、倒れて

なんてのを目の前にしてましたし

遠回しに、職場を辞めさせられるように仕向けられたなんて話も聞きましたから。。

そういう意味では、かなり悲壮感を感じ続けながらの入院生活でした

その4か月間の入院、それが僕の人生にとっても大きな転機になったのは確かです。

自分だけが辛いんじゃないこう思えたことでどれほどホッとしたことか。。

入院中は、仕事中や普段の生活での疲れやストレスが無かったせいか、発作の数も減っていたんです。

このままもっと減ってくれ〜!おさまってくれ〜!と祈りながらの毎日でした。

あ、宗教関係の祈りではありませんよ実際、入信を勧誘してくる人もいたのは事実ですが恐かったですけどね

退院後、約1月くらいで発作の頻度も入院前の状態になり、また生命の危機と闘う毎日にもどっていました

以前から、精神科の主治医からも手術考えてみない?と勧められていたことを思い出し、同院の脳外科のある先生てんかん名医で必ずリストアップされる先生です。を紹介され、手術も受けました。

手術後も、完治はとても無理でした。手術前から、うまくいって50の体調まで回復できるかどうかです。と主治医から言われたのに納得して受けた手術です。手術後の車椅子生活も正直覚悟してました。それほど苦しい状態だったんです

ところが手術は僕自身にとっても、主治医にとっても大成功でした

完治はとても無理でしたが、左半身麻痺確実と言われた後遺症は幸い全く無し。

そして、生命の危機を抱えさせた身体硬直の発作だけは全く出なくなり、全体的な発作の頻度も減り、80くらいまで回復したんですから

この手術入院の時に、僕よりずっと重症で、手術は既に2回経験したものの、大発作はおさまらず、頻度も変わらない、という女性に出会い、いろいろ話をしたんです。

発症したのが小学生低学年、それ以来ずっと、発作大発作で倒れるが頻発して、自宅近くに外出するだけでも家族同伴でしか認めてもらえず、主治医も認めてくれないそんな状態だと言うのです

ところが

この女性、僕にしてみたらものすごく辛い状態だと思うのに、

悲壮感は全然感じないんです。

笑顔、笑顔ですよ。

入院2回目にして検査入院以外、ここまで辛いはずの話を笑顔

で話してくれる患者仲間は、初めてでした

つまり、前向きさをものすごく感じたんです。

あーあ、また発作が出ちゃってみたいな感じは全く感じませんでした

だいぶ年下でしたけど、そんなことも感じさせない。。

きっと、僕の心はここで吸い込まれていったんでしょうが

それでも、一人で外出すらドクターストップかかってるし、本人も怖がってて、退院後しばらくは電話かメールでやりとりするのみ。。

電話だと1回1時間以上は必ずって感じで、しゃべってる時に発作が出たらどうするの?みたいに心配するも、

だいじょうぶよでした。最初はかなり強がりもあったんだと思いますよ。

それから3年くらいたって、自宅のすぐ近くのコンビニくらいまでなら、一人でも出れるようになったよと言われ、

さらに、たまたま通院の日が同じで、病院の待合室で会ったんです。

そこに、両親といっしょにいたので、僕を紹介されて

もうその頃から、僕の名前はしんちゃんで通じていたようで、向こうの両親もニッコリだったんですよ。

実はしんちゃんはここからきてるハンドルネームです。

この時からしばらくして、僕が直接向こうの家に行き、両親や妹家族がいたところで、僕が、連れに来て、連れて帰ります。よいでしょうか?とビクビクしながら言うと、すんなり両親が、

よろしくお願いしますと言ってくれたんです。。

それで、約半年間は僕が行きも帰りも同伴で付き合い始めたってわけですその後は、一人で出てきて待ち合わせ、でした。不思議なことに、その時に発作が出たことはありませんでした

結局その後約5年付き合うも、両家のどうにもならない事情で結婚には至りませんでしたが

いわゆる元カノ僕がブログの中で何回も書いてる人ですですが、その元カノは結婚しましたが、やりとりは今も続けていて、たまに会うこともありますよ。

永遠の大切な友達ですから。。

これは、付き合ってた頃から俺達は一生縁が切れることはないよ。ってお互い言い合ってたことです。

その5年間で僕といっしょにいた時間に発作が出たのは、わずか2回でした

会ってたのは毎週末だけでしたが、それでもすごいと思いませんか?

外で歩くときは必ず手を握ってました。これは愛情とか別ですよ笑

その途中で急に握る力が強くなってあ、発作だと僕が感じて、僕の方に引っ張り寄せるんです。かなり強い力で引き寄せたのを覚えてます。

だから、僕は自分以外の人の発作を体感してるんです。

そのままにしてたら間違いなく、意識失って倒れてたでしょうからね。

発作が始まったところで、大きくなるまえに抑えた経験ありってことですよ

当時でも週に数回は出る。だったんです。

それが、僕といる時はほぼゼロですからね。。

僕といることって、辛さを共有できてて、何も言わなくてもお互いの辛さがわかる。それは、元カノが僕に対しても、なんでわかるの?みたいな感じでしたよ。そんな安心感もあったんでしょうが、自宅にずっといたことで知らない間に束縛感とかストレスが溜まってたのを解放できたのも大きかったんでしょうね

元カノはその後結婚しましたが、一人での外出も主治医からストップは解除になってます。

それでも、週に1、2回、少なくとも2週に1回は大発作が出てる。と言うんです。

だから、辛さを共有できる仲間の存在。そして、愛情ってのはものすごく発作を抑えることにもつながると思いますよ

話戻しますが

自分より辛いはずなのに、つねに笑顔で話も前向きこれはかなり割り切りもあったみたいですがで僕に接していた元カノ。

この笑顔って、本当に重要だと思いますよ。

僕も、良い影響で笑顔を取り戻せるようになり、今は手術直後よりさらに発作の頻度は減ってると思います。

元カノは、僕よりとんでもなく重症で、かつ辛い人生を送ってきてたはずなのに、僕が忘れかけてた笑顔、これをずっと持ち続けていたんですから、ある意味今も僕は尊敬もしてますよ

辛い時に笑顔でいるのは簡単なことではないと思います。

でも、辛くても笑顔でいることで、症状が良化することもあるってことは、その元カノはもちろん、僕も実際に経験したことです。

気持ちにも余裕のようなものを持てると思いますしね

ではでは